【来歴】霞間ヶ渓は古くから鎌ヶ谷、釜ヶ谷とも書かれ、霞間ヶ渓とされたのは江戸末期からである。霞間ケ渓は池田山を水源とする谷川としては大津谷についで流域が深く慶安3年(1650)9月大豪雨による山地の崩壊を始め、幾度の山崩れや、大出水があり山麓の藤代、山洞、田畑あたりの村々に大きな被害を及ぼした。そこで村々は山林保護のため鎌留めといって山地の草木の採取を厳守することを申し合わせた。その後禁制が緩んで乱伐されたり、また鎌留めが行われたりしたことが繰り返されるうちに雑木が茂り、中でも山桜が多く育ち、明治14年県令小崎利準氏を始め地元の人たちの努力により、染井吉野のほか数種の桜が移植され、桜の名所になり大正2年近鉄揖斐線電車の開通と共にその名声が高まった。たまたま当地を視察された理学博士三好学氏の報告により昭和3年名勝天然記念物(国指定)として認定された。
昭和3年2月指定 名勝天然記念物
所在 岐阜県揖斐郡池田町藤代字霞間ケ谷
平年開花日4月中旬
霞間ヶ渓の桜はヤマザクラ、シダレザクラ、エドヒガン桜などの桜が1500本以上山林に点在してその桜が一斉に咲くと遠くから見て霞がかかっているように見えるためその名がつきました。 |
霞間ヶ渓の桜は日本さくら名所100選に選ばれています。桜並木のある一体は揖斐茶の産地で、茶畑が広がっています。写真右側が桜並木で奥が霞間ヶ渓です。山の中腹まで桜が点在しています。 |
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