現状 エドヒガン桜で幹の各所に大きな瘤があリ、基部のものは特に著しい。枝張りは東西南北に広く張り出し老木のため枝の各所に折損の後が見られる。
来歴 この桜は旧領主、根尾右京亮の祖先の墳墓の墓標であると言う。根尾家は奈良町時代の初めにこの村に小城を構え,累代この地に居住していたが、南北朝の乱戦のため滅亡したと伝えられる。本樹は奈良町の頃に植えられたもので,何時の頃かこの樹が枯れ掛かり花も咲かぬようになったので,里の人がその訳をその筋に申し出ると、付近に水田を設けよとのことで早速設けると再び樹勢を盛り返し年々花が咲き乱れるようになったという。大正5年に村長梶原惣乃助の発起で保存会が設けられたが,昭和23年に至り衰退の徴が現れたので,接ぎ根を行う事になり昭和24年3月24日着手した。その甲斐あって現在では樹勢は十分回復し毎年満開の花を咲かせる。薄墨の名は、花が散り際になると、薄墨色になる為,その名がついた。
所在 岐阜本巣郡根尾村板所字今村
周囲 根元11m
樹高 22m
樹齢 1200年
来歴 この桜は旧領主、根尾右京亮の祖先の墳墓の墓標であると言う。根尾家は奈良町時代の初めにこの村に小城を構え,累代この地に居住していたが、南北朝の乱戦のため滅亡したと伝えられる。本樹は奈良町の頃に植えられたもので,何時の頃かこの樹が枯れ掛かり花も咲かぬようになったので,里の人がその訳をその筋に申し出ると、付近に水田を設けよとのことで早速設けると再び樹勢を盛り返し年々花が咲き乱れるようになったという。大正5年に村長梶原惣乃助の発起で保存会が設けられたが,昭和23年に至り衰退の徴が現れたので,接ぎ根を行う事になり昭和24年3月24日着手した。その甲斐あって現在では樹勢は十分回復し毎年満開の花を咲かせる。薄墨の名は、花が散り際になると、薄墨色になる為,その名がついた。
所在 岐阜本巣郡根尾村板所字今村
周囲 根元11m
樹高 22m
樹齢 1200年
裏から見た淡墨桜です。主幹が非常に太く沢山の瘤があります。桜の周りは立ち入り禁止になっていて,桜の根は浅く張るので人に踏みつけられると枝の先端から枯れていきます。それを防ぐ為には柵は有効な手段ですね。花見客が多いので屋台やお土産を売る店が並んでいます。 |
0 コメント:
コメントを投稿