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静岡県、狩宿の下馬桜

【現状】この桜は赤芽の白山桜で、花序4.5cm花径3 cm開花時期は4月15日前後である。かつては、目通り8.5cm枝張り東西22 m、南北16 mの巨木であったが、度重なる台風等により損傷し、往年の雄姿は忍ぱれない。しかし近年若芽の成長により樹勢を盛り返している。

来歴)この地は「狩宿」といわれ、建久4年(1193年)源頼朝が、富士の巻狩の際に陣屋を設けた所と伝えられている。源頼朝の本陣井出館におかれ当時の館は、現在の并出家の東北側にあった。「狩宿の下馬桜」は、別名「駒止め桜」と呼ぱれ、源頼朝がこの桜の枝に馬を繁いだと伝えられる。

あわれその
  駒のみならず見る人の
     心をつなぐ山桜かな
        徳川十五代将軍慶喜詠

所在 静岡県富士宮市狩宿
   井出正春氏所有地内
周囲 1m
樹高 12m
樹齢 推定800年
天然記念物 大正11年10月
特別天然記念物 昭和27年3月指定
狩宿の下馬桜は冨士宮市から国道139号を本栖湖方面にしばらく走ると天子ヶ岳の山麓に広がる平野の中にあります。元の桜の木は朽ちていますが、蘖が成長して往事を思わせるような淡いピンクの可憐な花を咲かせています。桜の中でも特に山桜はこのように代を重ねて存続している例が多いです。頼朝の時代からあったと伝えられているこの山桜を見ていると桜にも立派な人格があるように思えるのです。私が最初に訪れた時、狩宿の下馬桜はちょうど満開の花を咲かせていました。この桜の後ろには小川が流れていてその向こうに見える茅葺きの建物は陣屋をそのまま残した井出家の住宅になっているようです。最後の将軍として知られる一橋慶喜が俳句を残しているのも興味深い事です。慶喜は大政奉還した後維新が成立して,静岡で隠居しその生涯を閉じました。慶喜は維新後、人と会う事を避け写真などの趣味に打ち込んでいましたが,この桜を通して人々とつながりを持ちたかったのかもしれません。明治維新成立の立役者一橋慶喜も愛したこの桜により一層の愛着を覚えます。
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