【現状】現在の樹は元の樹の蘖であろう。1989年3月31日現在まだ花は咲いてはいない。松山市内の染井吉野よりも1週間ほど遅れる。花びらは16枚位でやや濃い紅色で、葉も開花と同時に出る。
【来歴】昔、本寺が焼失した時に、備中の僧辨毫が来て本尊が無いのを嘆き、比叡山に上がり恵心僧都自作の薬師如来を請い受けて来て本堂で供養していると、消失した本堂が光明赫々としてこの桜の梢に出現したので、薄墨桜と呼ぶようになった。一説には、白鳳時代、天武天皇の皇后が病気にかかられた時、この寺の薬師ヘ御折りして全快された。その喜びのあまり、薄墨の綸旨をおくられたので境内の桜を薄墨桜と呼ぶようになったと伝えられる。
薄墨の綸旨かしこき桜かな
藤原極堂「1867〜1957」
薄墨の綸旨かしこき桜かな
藤原極堂「1867〜1957」
市指定天然記念物
所在 愛媛県松山市下伊台町
西法寺境内
周囲 0.5m
樹高 3 m
樹齢 250年
平年開花日 4月中旬
この年は春の気温が低く桜の開花が遅れました。四国を離れる日、2輪の淡墨桜の花が咲きました。可憐な花に古の時の流れを感じました。 |
四国に入った日に訪れた淡墨桜はまだ蕾でした。 |
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